管理職ヘンカク研究所

第七章 深圳での失敗

香港から再び深圳に戻った日、
私はこの旅最大の失敗を犯した。

お金がない

その日は日曜日であった。

香港の場合、
街のあちこちに両替屋があり、
両替はそこでする。

日曜日も
多少レートが悪くなるものの
店は開いている。

しかし中国の場合、
両替は日本と同じように
銀行でする。

もちろん日曜日は
銀行も閉まっている。

香港での快適な生活で、
旅に対する緊張感が
途切れていたのだろう。

深圳に着いた時、
私が持っていた現金は
25香港ドルのみであったのだ。

25香港ドルといえば、
マクドナルドでセットを頼めば
無くなってしまう程度の
お金である。

こんなお金では何もできない。

銀行

私は慌てて
両替ができそうなところを
探して歩いた。

まずは周辺の銀行に
顔を出してみた。

英語の通じない行員相手に
悪戦苦闘してみたものの、
案の定、
「明日来なさい」
と断られるのみであった。

高級ホテル

次に考えたのが、
外国人が泊まっているような
大きなホテルであった。

ここならフロントで
両替をしているはずである。

我ながら良いアイデアだと思い、
喜び勇んでホテルに行った。

さすがは高級ホテルだけあって、
フロントの兄さんも
親切に応じてくれた。

「すみません」

「はい、なんでしょうか?」

「あのー、両替をしたいのですが」

「かしこまりました。ところでお客様は何号室にお泊まりですか?」

「うっ・・・」

そうなのだ。
ホテルの両替というのは、
そのホテルに泊まっている人しか
利用できないのだ。

フロントの兄さんは、
スマイルを忘れずにやんわりと、
しかし頑として
私の要求を断ってくれた。

予定変更

これは私にとっては
非常事態であった。

私は既に香港で、
広州から昆明への
列車の切符を買っていた。

出発は翌日の午前11時である。

当初の予定としては
今日中に広州まで行き、
広州青年旅舎で雪辱を果たし、
グラフ似の女神にお礼を言い、
余裕を持って
昆明行きの列車に乗る
というつもりであった。

しかし両替ができなければ、
広州青年旅舎で
雪辱を果たすどころか、
広州へ行くことすらできないのだ。

下手をすれば
列車に乗り遅れる可能性だってある。

落ち着け、落ち着け。

自分にそう言い聞かせながら
最善の策を考えた。

その結果、
今日広州に行くことは諦めて、
明日の朝一番に両替をして、
何らかの手段で11時までに
広州駅に行くことにした。

11時までに
広州駅に着けるかどうか
不安ではあったが、
これしかないと考えた。

とあるホテル

そこで私は、
今日の宿を探して
再び深圳の街を歩き始めた。

米ドルのトラベラーズチェック、
もしくは日本円の現金が使えそうで、
かつ安そうな宿。

しかしこんな宿は
なかなか見つかるものではない。

『地球の歩き方』を
参考にしながら、
ようやく私は
一つのホテルに辿り着いた。

昼過ぎに
深圳に到着したはずなのに、
このホテルに着いた時には
既に日が暮れかけていた。

3時間以上も
深圳の街中を
歩き続けていたことになる。

もうくたくたであった。

この宿でいいや・・・

私は一万円札を
フロントの女性に渡していた。

フロントには二人の女性がいた。

「実は中国元を持っていないんだ。
 あるのは
 米ドルのトラベラーズチェックと
 日本円の現金だけなんだ」

彼女たちにそう伝えると、
じゃあ日本円で払えと言う。

その時
私の持っていた封筒の中には、
千円札が3枚と、
五千円札と一万円札が
それぞれ1枚ずつ入っていた。

私は何を思ったのか、
一万円札を
彼女に渡してしまったのである。

おそらく今まで
一度も見たことも触ったこともない
日本の一万円札を手にして、
彼女たちは無邪気に喜んでいた。

しまった。

彼女たちは多分
日本円と中国元との
換算レートなんか知らないのだ。

こんなだったら
五千円札を渡したって
彼女たちは喜んだに違いない。

随分損をしてしまったようだ。

私は、
一万円札を渡せばそれを換算して、
中国元でお釣りが来ると
錯覚してしまっていたのだ。

両替をしてこなかった自分と、
つい一万円札を出してしまった自分。

旅に対して
気を緩めてしまった自分に腹が立ち、
その夜はしばらく
眠ることができなかった。



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