管理職ヘンカク研究所

#2 自己紹介1

こんにちは、みやしんです。

このブログでは、主にstand.fmという音声配信アプリで私が話した内容を、文字化してお伝えしています。
今回の放送内容はこちらです。

初回の放送を終えて

昨日、第1回目を放送したところ、
嬉しいことに「いいね」を結構いただきました。

「いいね」を押して下さった皆さま
ありがとうございます。
結構喜んでおります。

それからコメントも2件もいただきました。
お一人はkorone様、それから大山裕介様ですね。

お二人ともこのstand.fmの先輩なんですよね。

その先輩の方が

「配信初放送おめでとうございます!」

という事を書いてくださるんですよね。

本当に、例えばclubhouseとかもそうなんですけども、
この音声メディアっていうのは結構暖かい空気が
流れてるような感がしています。

今日もこうやってコメントを先輩の方から頂き、
本当嬉しく思います。

だから、こうやっていただいたご恩を忘れないように、
もし、次にまた新しく放送開始されたような方がいらっしゃったら僕も

「おめでとうございます!」

と、恩送りというのかな。
そういうのをやって行きたいなと思っております。

皆様、本当にありがとうございました。

自己紹介

さて、第二話は、
昨日予告したように自己紹介をしたいと思います。

基本情報

年齢は現在45歳。
「44歳からの人生変革プロジェクト」と言っています。
私の人生が変わった44歳から1年半くらい経った状態です。

職業は会社員です。
今は3社目の会社で勤務しています。

1社目は、大学を卒業して新卒で入った会社です。
そこに16年ほど勤務しました。
結構長くその会社で勤めていました。

それから転職して2社目。
ここは一年半ぐらいで合わなくて辞めました。

そして今が3社目です。
ここは入社して丸4年が経つところです。
そろそろ5年目に突入しようかという時期です。

家族構成は妻がいて、子供は上が女の子、下が男の子です。

趣味はこれといってありません。
筋トレは毎日のようにしてますので、これは趣味と言えるかもしれません。
あとは強いて言えば本を読むことでしょうか。

最近影響を受けた本に
「DIE WITH ZERO〜人生が豊かになりすぎる究極のルール〜」
というものがあります。

日本語で言えば「ゼロで死ね」です。
この本を読んで、人生の時間軸の考え方や、お金の考え方など、
物の見方が変わってきたんだなという風に思います。

どこかでタイミングがあればお話ししたいなという風に思います。

好きな言葉は「継続は力なり」です。
筋トレにしても何にしてもずっと続けたことで変わってきました。
私の中で大事にしている言葉です。

Before44歳

「44歳からの…」と言っていますので、
私の人生も Before44歳と After44歳で
お話しします。

実家にいた頃の話

私は12歳、小学校6年生の時に父を病気で亡くしています。
その時の父が亡くなった年齢が44歳です。

父の葬式の時に、父の分まで生きようと心に誓いました。

自分の生きる分と父の生きたかった分まで合わせると
大体130歳ぐらいになります。
なので130まで生きてやろうと思っています。

3人兄弟だったため、母親は女手一つで育ててくれました。
色々相当苦労をかけたなと思っています。
母親には感謝してもし切れません。

父は4年ほど闘病生活がありました。

父がまだ元気だった頃、私が小学校1年生の頃に父から野球を教わりました。
小学4年生の時に野球チームに入ったものの、
その頃父は既に闘病生活に入っており、
チームに入って野球をやってる姿をほぼ見せられていません。

ですが父から教わった野球は、高校までは続けてきました。

上京してからの話

高校卒業後、大学に進学します。
元々私は地方の田舎の出身で、大学は東京に出てきました。

大学生にもなると誘惑がたくさんあり、
野球からもどんどん遠ざかりました。
それに合わせて父の影も薄れていきました。

タバコも吸い始め、タバコを吸いながら、
一晩中麻雀をするような生活をしていました。

その後社会人になります。

社会人になってからは真面目に働いていました。

1社目に入った時、初めて出社して三日目ぐらいだったと思います。
怖い先輩の女性から言われたことを今でも覚えています。

「社長が黒いものを白と言ったら白なんだ!」

ということです。

それに対し、入社したての我々は「はーそうですか」と真面目に聞いていて。
その気持ちのまま一生懸命働いていたのですが、
今思えば、もっと勉強したり客観的に見れば良かったと思っています。

資本主義市場のルールみたいなものが分かっていれば、
もう少し違う会社員生活だったように思います。

しかし当時は会社に言われるがままでした。

提供するものが労働力しかないため、
一生懸命働いてたっていうのが現状です。

一生懸命働けばまあそれなりに給料も上がっていきますし、
役職もそこそこ上がってはいきましたね。
最終的に1社目では、33歳〜34歳の頃には部長になるなど
それなりに成長はしました。

暗黒時代の話

しかしそうは言っても、どこまで行っても労働者は労働者です。
当時の社長に相当けちょんけちょんに怒られる毎日でした。

当時は会社というのが自分の世界の全てでしたので、
経営者にボコボコにやられればやはり自信がなくなります。

そうすると、どんどんどんどん追い込まれていきます。
追い込まれていくとどうなるかというと、
それを取り返そうするがために余計長く働くという悪循環に陥りました。

当時は毎週月曜日に大きな会議がありました。
その議事録を書いたりするために、毎週月曜日は泊まりでした。

初期の頃は会社のソファーで寝ていたのですが、
途中からはホテルに泊まらせてもらえるようになりました。
(「泊まらせてもらえる」と書いている時点で社畜笑)

月曜日はデフォルトでホテルです。
場合によっては火曜日もホテルという日もありました。

二日も同じ靴下と同じパンツって同じ格好で行くのか…
となるので、水曜日ぐらいに一回家に帰るわけですよね。
それも夜タクシーで帰って、お風呂に入って、ちょっと寝て、着替えて、
また朝5時半にタクシー呼んでタクシーで行くような生活でした。

あと本当に追い込まれていた時は、
土曜日に家族で外食しに行った時にノートパソコンを持って出て、
レストランでノートパソコンを開いてたこともありました。

そんなところでパソコン開いたところで全然進む訳はないんですけれども。

でもそれでも何かしないと落ち着かないというか、
ただもう追い詰められていた時代がありました。

今日はここまです。
次回はafter44歳という話をしたいと思います。

本日は以上です。
ありがとうございました。
では、また次回。



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